ハンギョレ記者の“偏狭な反抗”

 

ウキペディアに依れば“土下座”とは、

「土の上に直に坐り、平伏して礼(辞儀)を行うこと」とあり、

 

朝鮮史に在っては、清国の使者に三跪九叩頭の礼を強いられた

朝鮮の仁祖王の、「三田渡の屈辱」がある。

 

岸田総理は、尹錫悦大統領を迎えて、

その様な礼を強いていない。

 

[コラム]オムライス1皿と交換した尹錫悦大統領の「土下座」

The Hankyoreh 323() 

日本としては、韓国が土下座したものと受け取り、これで全面的な処分権があるとして、当然徴用問題以外にも慰安婦、福島産水産物、さらには独島(トクト)までも韓国側に解決を求めたのだ。

 

 「作戦に失敗した指揮官は許せても、警戒に失敗した指揮官は許せない」。ダグラス・マッカーサー将軍の言葉として広く知られている。ビジネスでは「取引に失敗した職員は許せても、接待に失敗した職員は許せない」という言葉がある。外交でも儀式は重要だ。そのため、1617日の尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の訪日での私の関心はオムライスだった。

 

〇 中曽根首相は、レーガン大統領を“日の出町の山荘”とは名ばかりの、古民家に招いて私的接待をした。

 

尹大統領を招いた岸田総理は、夫人同伴の晩餐会の後、

尹大統領の好物が“オムライス”と言う情報を得、

老舗の洋食店、「煉瓦亭」で男同士の二次会を持ち、

日本のビールと韓国の焼酎で作った「爆弾酒」を、

「日韓融合酒」との意味合いで嗜んだ。

 

日本の礼儀、世界のマナーでは、公式接待に止まらず、

私的接待を行うことが礼にかなっている。

 

  ジョージ・ブッシュ元大統領は居酒屋の有名店、バラク・オバマ元大統領は寿司の有名店、ドナルド・トランプは鉄板焼きの有名店でもてなされたのを見たことがある私は、尹大統領もオムライスの有名店で同ランクの待遇を受けるのだと感涙した。だが、首脳間の親交を深めるには、手のひら半分ほどのオムライス1皿だけでは足りないと思われた。夜遅くに検察庁で食べるジャージャー麺が懐かしくて検察官にカムバックしたというほどの尹大統領の食欲だと、オムライスはあっという間に消えてしまうはずなので、雰囲気が冷めてしまうのではないかと心配になった。「その有名店はトンカツでも有名なので、トンカツをつまみに生ビールを飲んで、オムライスで食事をしたのか」など、ありとあらゆる想像をした。

 

〇 想像は自由だが、想像した情景を真実の如く報道することはマスコミのマナーにかなう行為ではない。

通常、晩餐会の後の二次会では、食事より、飲酒にウエートが置かれる。

 

イギリスでは、スコッチをつまみと共に嗜み、フランスではブランデーを、米国ではバーボンを…という具合である。

 

日韓両首脳が、庶民的な、「爆弾酒」は、ほほえましいことではないのか。

 

  ところが、すき焼きの有名店でまず夕食をとり、その後オムライスの有名店に行くという発表をみて、“メンタル崩壊”(激しいショック)に陥った。夕食を2回食べるというのか。多くの人に会うため昼食と夕食をそれぞれ2回ずつ取るという韓国の政治家の慣行に対応する細やかな配慮なのか、それとも、二次会では「ご飯が最高のおつまみ」という韓国の飲み方に合わせて、オムライスをつまみに生ビールでもてなそうということなのか、混乱した。

 

〇 尹大統領の今回の訪日は、国賓としてではなく、実務的な訪日である。

念のために調べてみたがオバマ大統領も、ブッシュ大統領もトランプ大統領も“国賓”として訪日している。

 

外交には、プロトコルが有り、日本の外務省も官邸もプロトコルを厳守している。

 

  オムライスに対する関心は、今回の訪日の最大の懸案である強制動員賠償問題において、被害者である韓国側だけですべて対応するとしてまとめられたことによるものだ。残りは、その代価として、日本が重要な外国首脳を格式張らずに歓迎する接待である独特な「おもてなし」を尹大統領にしたことくらいだったからだ。韓国の政府とメディアは、オムライスのもてなしがいかに手厚い歓待なのか口が乾くほど宣伝し、私も付和雷同した。

 

〇 国賓としての来日であれば、天皇陛下主催の、「宮中晩さん会」が恒例であるが、実務的な訪問であれば、その様な格式は得られない。

 

岸田総理は、尹大統領が喜ばれる接待に努めたという事である。

 

  首脳会談で岸田文雄首相が、慰安婦、福島産水産物の輸入、独島(トクト)問題などまで解決を要請したという日本メディアの報道が次々と出てきて、私は再び“メンタル崩壊”に陥った。今回の訪日で、「強制動員問題を韓国側だけで対応」‐「オムライスのもてなし」という“すっきりした”韓国と日本のやりとりで整理できるというのは、私の純真な考えだった。日本は、すき焼きまでつまみにしてもてなし、別のことも要求したのではないかという疑問が生じた。

 

〇 韓国人は何故か感情が“容易く”激する特徴がある。

しかし、岸田総理も尹大統領も“冷静”を保っていたようである。

 

慰安婦問題は、「最終的かつ不可逆的」に解決済であり、

福島県産の農水産物の輸入は科学的見地で対応すればよく、

竹島(独島)問題は、当面取上げることを差し控えたようだ。

 

「元徴用工問題」は、1965年の、「(日韓)請求権協定」で、「完全かつ最終的」に解決済であり、

韓国の言う、「強制動員(労働)被害者問題」は日本に存在しない。

日本は、韓国の国内問題と認識している。

 

  日本の問題に詳しい同僚の記者は、訪日前に「日本の誠意ある呼応はないだろう」と予想した。同僚の記者は、日本の侍文化では、一方が頭を下げたり、跪くということは、相手方にすべての処分を任せることだとして、日本は韓国にむしろさらに要求することになるだろうと語った。

 

〇 冒頭にも言ったことだが、岸田総理が何時、尹大統領に“土下座”を求め、尹大統領は何処で土下座をしたのか。

 

「印象操作も程々に」と、御忠告申し上げる。

 

  同僚の記者が正しかった。尹政権の“強制動員問題を韓国側だけで対応”することは、日本にとっては韓国による“土下座”であった。土下座は、侍文化において、ひざまずいて額を床にまでつける丁寧なお辞儀によって謝罪を求める礼法だ。土下座は、自身の首までも差し出すほど、相手方に全面的に処分権を与えるという意味だ。

 

〇 「強制動員(労働)問題」は、韓国が一方的に提起し、大騒ぎし、収拾を尹大統領に委ねたのであって、日本側は一切関知する問題ではない。

 

日本的に言えば、この問題に関しては、「(韓国は)“一人相撲”で勝手に負けた」という事である。

 

  キム・テヒョ国家安保室第1次長が、韓国の強制動員問題解決策に「実際、日本が驚いた」として、「こうした場合、韓国の国内政治で大丈夫かどうかはわからないが、韓国にとっては、これが待ち望んだ解決策であるようだ(と反応した)」と説明した。日本としては、韓国が土下座したとみなしたのだ。これで全面的に処分権があるとして、強制動員問題以外の他の懸案についても、韓国側に解決を求めたのだ。

 

〇 日本の誰が驚いたのか、こうした場合、日本人は、韓国の国内事情を勘案して、「尹さん大丈夫ですか」と心配し、同情する。

 

国交回復後“最悪”と言われる日韓間には、懸案問題が山済みであるが、

いずれの問題も韓国に起因する問題、韓国が提起した問題である。

それらの諸問題を解決しなければ、未来志向は図れない道理である。

 

  首脳会談で慰安婦問題なども議論されたという日本メディアの報道について、大統領室は日本がメディア工作をしているとして怒った。日本は間違っていない。日本としては、韓国が土下座をしたので当然のことを要求したのだ。間違っているのは尹政権だ。土下座したのに、土下座したことを分かっていないからだ。

 

〇 慰安婦に関する、「日韓合意」は、バイデン副大統領(当時)の強い要請で、日韓両外相が合意した、その合意の日本側の当事者が、「岸田文雄」であり、“反故”同様にしたのが韓国の前大統領・文在寅であった。

そのこと知り、バイデンの米国に“国賓訪米”を控えた尹大統領が“善処”を約したことは想像に難くない。

 

  今後がさらに問題だ。日本は土下座した韓国に、すべての問題の解決を押しつけ続けるだろう。4年後に尹政権が退陣しても変わらないだろう。もちろん、日本は韓国が今後も今回のように“自ら対応する”解決策を提示すれば、おそらく、牛丼、そば、ちらし寿司のもてなし程度はするだろう。尹政権のように、オムライス1皿で「おもてなしを受けた」と感涙することで、韓日関係は和らぐだろう。

 

〇 「強制動員(労働)問題」で韓国人が反省すべきは、韓国側の論理で問題を提起しても、日本政府も日本人もそれに“対応しない”という現実である。

 

ところで、韓国経済界が求める、「日韓数課スワップ」はどうするのか。

 

韓国経済の機関車的存在である、SAMSUNGは、「輸出個別審査」を撤廃する日本政府の方針を歓迎していないのか。

私の感覚では、SAMSUNGの経営陣は「‥‥」無言で応えるだろう。

抑々、「輸出個別審査」で韓国SAMSUNGには何の支障もなかったからである。

 

  オムライスに対して文句をつける私の考えは、「あの王宮の代わりに、王国の淫蕩の代わりに、50ウォンのカルビが油まみれで出てきたと憤慨」(キム・スヨンの詩『ある日、古宮を出て』)したという偏狭な反抗にすぎないのだろうか。

 

〇 記者の懸念はその通りである。

残念ながら、詩人・金秀映(キム・スヨン)はウキペディアではヒットしなかった。

従って、私は、「ある日、古宮を出て」の意味を知ることができなかった。