私の参院選

7月5日(火)

 

74日は、自由主義国のリーダーアメリカ合衆国が、

植民大帝国・英国と戦争し、「独立」を得た記念日である。

 

それと比べるべくもないが、1946年の74日は私の誕生日である。

 

米国では、コロナ禍に在ってもそれなりの盛大な祝賀式典が行われたのだろうが、私の誕生日は誰も記憶せず、私自身も今日(5日)気付いた始末である。

 

私の今年の誕生祝は、「西川やすお候補」の“当選祝い”と位置付けよう。

 

さて、昨日は、830分の友人の企業の朝礼に候補者夫人とともに参加した。

その後事務所に戻り、来訪者の応対に追われ、その間、“隠密”作戦に従事した。

有力支援者の支援活動を探り、新たな指示を為し、表向きには我が陣営の勢力の及ばないとされる市町の有力者に対する呼びかけをする。

 

「遅い」と言う、“手遅れ医者”的返事も多いが、「隠密に支持している」と言う心強い反応もある。

 

何れにしても、私の運動参加が遅すぎたと“反省しきり”である。

 

夕、5時には私の友人の息子が社長である、解体業の会社の集会に参加した。

集まった人の大半は、そろいのユニホームを着ていた。

“社風”の良さが実感できる。

私の応援演説にも真剣に耳を傾けてくれた。

 

候補者夫人の挨拶後、

「夫人は、広島県の出身者であり、栃木県には親戚知人が全くない。

彼女と“グータッチ”した皆さんは、彼女の親戚となったつもりで支援をお願いしたい」と、余計なことを言ったが、集まった人の顔には笑みがこぼれた。

 

帰宅の車中で、最後の5日間、「闇雲に突き進むしかない」と臍を固めた。