昨年末、成都に於いて、日中韓三カ国サミットが開催された。

しかし、確たる成果は得られなかった。

 

日中首脳会談では「国賓訪日」が首脳間で合意されたようだが、

日本国内では、「習近平“国賓”訪日」に対する反対論が盛んになりつつある。

 

また、成都に於いて日韓首脳会談も開催されたが、

両首脳が合意したものは何もなく、依然として溝は存在したままだ。

 

結論を言えば、

日中韓3か国協力は、実現不可能なロマンチックな夢に過ぎない!

 

<チャイナインサイト>韓日中3カ国協力、不可能なロマンチックな夢なのか

中央日報日本語版 122()

 

◇スタート20年迎えた韓日中3国協力体制
昨年末に第8回韓日中首脳会議が中国・成都で開かれた。何より年を越さずに3カ国首脳が会ったことは幸いなことと考える。2国間関係の悪化などさまざまな理由で首脳会議を開催できず年を越したことは数回あったが、2年連続で開催することで3カ国首脳会議を再びもとの軌道にのせたためだ。しかも2019年は韓日中3カ国協力体制がスタートして20周年を迎える記念碑的な年だった。

 

〇 日中韓三か国の首脳が合うことに反対はしないが、日本の利することのないサミットであることが明らかである。

したがって日本にとって、単なる顔合わせという意味以外ないはずだ。


一方では物足りなさも残る。大多数のメディアは3カ国間地域協力そのものにフォーカスを合わせるよりは、ぎくしゃくする韓日関係改善の可能性など2国間懸案に多くの関心を見せた。3カ国協力が持続可能な域内協力次元で堅固な地位を構築できず不安定な2国間関係の浮沈に影響を受けるほかない現実を反映したものだ。現実主義的な国際政治の見方で眺めれば3カ国協力は依然として蜃気楼のような存在と見なされたりもする。大陸勢力中国と海洋勢力日本の間の地政学的覇権競争だけでなく、絡まり合う2国間関係の困難により真の協力は最初から不可能だということだ。果たして韓日中協力は克服できない胎生的限界を抱いているのだろうか。

 

〇 そもそも、国家体制の違う三カ国に「共通の利益」はない。

キリスト教という共通の価値観を共有する欧州と全く違う点である。

また、日本と韓国には抜きがたい不信感があり「対話」もままならないありさまである。

従って日中韓の三首脳が会っても何の成果も得られない道理だ。


本格的な多者主義的協力体制の拡散は脱冷戦という国際政治力学構図の変化と深く関連している。1992年に韓中修交が成立したことにより3カ国協力の基盤となる2国間関係の土台が作り終えられた。1997年にアジアを襲った金融危機は3カ国協力の歴史的スタートに決定的な動力を提供した。このような内外からの複合的要因が結びつくことにより不可能だろうとされた3カ国協力の枠組みが1999年に正式にスタートした。冷戦体制の終息という新たな時代的流れを直視し絶体絶命のアジア金融危機を克服しようとする3カ国指導者の戦略的決断により韓日中3カ国協力が始まったのだ。3カ国協力は自国の国益を超え共生協力を推進する「政治的ビジョン」といえる。3カ国協力の制度化に向け何より首脳会議の定例化が優先されなければならない理由だ。

 

〇 2020年代の特色は「脱冷戦時代」が終焉し、「新冷戦時代」に突入したという現実 を見過ごしてはならない。

1997年の通貨危機の教訓は、「国際基軸通貨」を持つ覇権国の強みと、「国際 通貨」を持たない国の脆弱さであった。

日中韓三か国の内、「国際通貨」を持つ国は日本以外にない。

したがって北東アジア三カ国首脳会議における中国韓国の首脳の脳裏には「日本円」があることは明らかだ。

日本政府は、無目的であり不必要な外貨を1兆2000億ドル保有している。

文在寅が“よだれ”をたらし、習近平の“喉から手が出ている”のが手に取るように見えてしまう。


◇20年間1年も欠かさない環境相会議
その後21の閣僚級協議を含む70件以上の政府間協議が運営されている。民間分野でも活発な交流が行われている。3カ国協力業務を支援する目的で2011年には韓日中3カ国協力事務局(TCS)が設立された。しかし3カ国協力はすぐに重大な試練に直面することになる。毎年開くことで合意した韓日中首脳会議が2~3年にわたり開かれないことが起きたりもした。3カ国協力の土台となる2国間関係が歴史問題や領土紛争などにより悪化したことが最も大きい原因だった。それにより3カ国間協力の胎生的限界を指摘する悲観論も多く広がったのが事実だ。

 

〇 胎生的限界が何を意味するのか不明だが、中国・韓国が求めるものは日本円であり、日本の技術である。

東北アジア三カ国は、一見対等な関係を見せるが、実態はかなり傾斜していることを忘れてはならない。

軍事的には、中国>日本>韓国であるし、経済的には日本>中国>韓国という実態がある。


だが振り返れば、韓日中協力体制が制度的に構築されて以来成果を出した事例も少ないとは言えない。その意味も決して小さくない。代表的なものが3カ国環境協力だ。韓日中の環境相は1999年以降1年も欠かさず会議を開催してきた。領土問題や過去史対立、安保関連懸案などで2国間関係が冷え込んだ間もこの会議は継続して開かれた。最近3カ国が粒子状物質排出に対する共同研究結果を発表したのもこの会議の成果だった。中国発の汚染源の割合に対する評価が国ごとに違って表れるように各論に入るほど溝があったりするが、暮らしの質と直結した環境問題協力に向け3カ国閣僚会議が20年以上続いているということ自体が韓日中協力の必要性を示す事例といえる。

 

〇 PM2.5に代表される大気汚染は、中国発祥であり、韓国がそれを増幅する。

海洋廃棄物についても同様であり、中国・韓国のごみが日本の沿岸に大量に打ち寄せられている。

環境問題にあって、日本は一方的な被害国である。

 

このほか未来世代に相互理解と疎通の機会を提供し、国境を超えて複数の学位を受けられるよう支援する「キャンパスアジア」プロジェクトや、毎年国ごとに1カ所ずつ3都市を選定し、文化的・人的交流活性化に寄与する「東アジア文化都市」事業も順調に進んでいる。こうした小さい事業こそ政治的対立要因に隠れ大きく浮上することはないが、草の根次元での相互理解を深め中長期的次元での韓日中協力基盤を固める役割をしているといえる。

 

〇 日本人の中で、特別の価値観を持つものは別にして、一般的日本人の中で、韓国や中国に留学したいと欲する者が多いとは思えない。

文化を歴史的に見れば、日本は中国大陸や朝鮮半島から多くのものを得たが…現代に至ってはその文化的遺産を日本から中国大陸や朝鮮半島に逆輸出しているありさまだ。


現実的に協力の進展を妨げる最大の要因は3カ国がこうしたビジョンを共有しながらも具体的な過程と方法論に対してはそれぞれ異なる見解と戦略を提示しているという事実だ。中国の「一帯一路」、日本の「インド太平洋構想」、そして韓国の「東アジア鉄道共同体」「新北方政策」と「新南方政策」がそれだ。したがって戦略的疎通を通じ相互間の接点を探そうとする努力を絶えず持続しなくてはならない。このためには国内政治的変数と関係なく3カ国協力を中長期的次元の戦略的で未来指向的な課題として研究する3カ国シンクタンクネットワーク(NTCT)をより活性化させていかなければならない。

 

〇 中国の「一帯一路」と日米豪印による「インド太平洋構想」は対立する概念であることを知らねばならない。

韓国の「東アジア鉄道共同体構想」は夢想に過ぎず、「新北方政策」は、韓国の“海洋国家グループ”からの離脱の危険性をはらみ、「新南方政策」は絵に描いた餅に過ぎない。

“同床異夢”の日中韓三か国のシンクタンクネットワークに何の意味があるのだろうかはなはだ疑問だ。


3カ国は数千年間隣国として厳しく不幸な時期を経験することもした。3カ国は文化的同質性を維持する中でそれぞれの地政学的特性を反映し、独自的で個性が強い文化を発展させてきた。文化は思考体系と認識を反映する。したがって国民間に存在する相互認識の差をありのままに受け入れ相異する見解と立場の違いを理解して調和させようとする努力を切実に必要とする。このため人的交流をさらに拡大し人文学的交流を画期的に増進させていかなければならない。「易地思之」と「求同存異」の姿勢で肯定的なモメンタムを着実に蓄積させていかなければならない。いつかこのような肯定的動力が3カ国協力を阻害する否定的動力を超越することになれば、不信と対立から信頼と協力というパラダイムへの転換を可能にするだろう。その時期をどれだけ繰り上げられるかの可否は指導者のビジョンと政治的意志そして3カ国国民の認識にかかっている。

 

〇 日中韓三か国は、「漢字圏」である歴史的共通性はあるがそれ以外の共通性はない。ハンチントン教授も指摘する通り「日本文明」は独立している。

さらに、大韓民国は「漢字」を拒否することによって、中国は漢字を“簡体化”することによって文化を後退させている。

この様な現実に直面すれば、「易地思之」と「求同存異」の姿勢は否定的にならざるを得ない。したがって、現状では「不信と対立から信頼と協力というパラダイムへの転換」は、不可能といわざるを得ない。


◇理想主義の情熱持ちながらアプローチは実用主義で
韓日中3カ国協力は冷酷な現実を度外視したロマンチックな理想主義では決してない。中長期的には絶えず変化する国際情勢に対する戦略的分析に基づいてより良い世界を指向する理想主義的情熱で推進しなければならない未来指向的対案だ。

短期的には国民に実質的な恩恵を増進させる方向で推進されなければならないという側面から実用主義的アプローチを要する。英国のEU離脱問題はわれわれに多くの教訓を与える。別の一方では超不確実性の危機に直面し、玉子をひとつのかごに入れず危険を分散させる次元での最も現実的な「ヘッジ戦略」でもある。3カ国は地域的隣接性により災害管理、公衆保険、粒子状物質など環境問題と超国境犯罪、そして核安全問題など非伝統安保分野において各自では解決しにくい共同の脅威に直面している。逆説的に3カ国協力の胎動がそうだったように、危機は時に新たな機会を創り出したりもする。

 

〇 日中韓の現状を冷酷に見れば、そこにロマンは全く存在しない。

短期的に見れば「米中対立の時代」に日本や韓国はどのようなスタンスで臨むかをまず選択せねばならない。

敢えて付言すれば、東アジア情勢は「米国」の存在を抜きには語れないということだ。

東アジア共同体が現実のものとなるとしても、「一帯一路」がアジアの体制となるとしても、ブレグジットの教訓は日本が参加すべきでないということを示している。

2020年代の日本は「新脱亜入欧」を選択することになるかもしれない。


何よりも試練と苦難で綴られた北東アジアの暗鬱だった歴史を絶対に繰り返さないためにも3カ国協力はあらゆる難しさにもかかわらず、一歩でも前に進まなければならない。どこのだれも否定することのできないわれわれの時代の時代精神だ。

 

〇 中国大陸では、清王朝を打倒した後、軍閥が相争う戦国時代を現出し、蒋介石によって一時の統一を見たが、その後の国共内戦で再び国土を焦土とした。

中国大陸では、世界第2の経済大国となった今でも、豊かさが国民全体に分配されていない。時代遅れの共産党独裁体制にある故だ。

   朝鮮半島では、500年の停滞を日韓併合によって脱出し、日本の指導で近代となることを得たが、その歴史を完全に否定したことによって、自らを見失うこととなってしまった。

中国大陸でも、共産中国建国以来、近年に至るまで、その発展の原動力は「満州国の遺産」であったことは全く語られない。

遠慮せずに言えば、近現代の東アジアは、日本の存在無くして語れないということである。