山口二郎の寄稿文を読んだ第一印象は、“針小棒大”であった。

 

山口が取り上げる安倍内閣関連の事件はいずれも“事実”であるが・・・

国の根幹を揺るがすような問題ではない。

 

一方、韓国内で起きている事件は国の根幹にかかわる問題であり、

同断に論じることは適当ではない。

 

香港の於ける熱気と、

台湾総統選における蔡英文の圧倒的得票は、

何に起因するものであるか知ろうと努力すれば、

民主主義が機能していない国が何れかは簡単に解かるはずだ。

[寄稿]東アジアの民主主義

ハンギョレ新聞 1月20日(月)

 

 昨年、香港で一国二制度と市民的自由を守るための市民の戦いが繰り広げられた。先日の台湾の総統選挙では、香港市民の戦いに刺激を受けた人々が、台湾の自主自立を掲げる蔡英文総統を圧倒的な票数で再選した。民主主義は近代西洋で始まった政治の仕組みだと思われてきた。しかし、今や東アジアでも定着している。韓国も民主化から30年以上経過し、いろいろと悩みはあるようだが、市民が積極的に行動し、腐敗した政権を倒すという力を発揮していることは、日本から見てうらやましく感じる。政治に限らず文明一般に関して、進んだ西洋、遅れたアジアという図式が明治以来の日本人の頭の中には続いていたが、今やアメリカやイギリスでは民主政治が混迷し、アジアでは民主主義が作動している。

 

〇 山口は、過激なデモが起きることを以て民主主義の成熟と思っているのだろう。

彼は70年安保世代であり、彼の深層心理には「60年代安保世代」に対する劣等感で満ち満ちているようだ。

山口と私は同世代人であるが私には「60年安保世代」に対する劣等感はない。

私は青少年時代から一貫して「保守」にスタンスを置いてきたからだ。

岸信介首相の英断による「日米安全保障条約改定」は、「60年安保世代」の主張「戦争への道」とは全く違った「平和への道」であったからだ。

韓国に於ける、台湾における民主主義的活動は、「60年安保世代」のデモとは正反対の指向を持つが、山口は“学生らのデモ”という行動を見、本質を探らずして民主主義の表れと見ているのだ。


 日本は明治維新の後にアジアで最初に議会政治をはじめ、政党政治は長い歴史を持っている。第2次世界大戦における

敗戦の後、日本の民主化は大いに進んだと日本人は思ってきた。しかし、現状を見ると日本がアジアの民主主義の先頭を走っているとはとても言えない。

 

〇 山口二郎の知識には、正確な日本の近現代史が入っていないようだ。

アジアで最も早く「憲法」を持ち、憲法に基づいて「国会が開設」され、十分ではないながら民意が反映する国家機能を持ち、第2次大戦中にあっても十分ではないながら国会が機能し、国会によって首相が交代したことをどう評価しているのか。

戦後民主主義が、戦前の民主主義に優っている点も認めるが、退化している点もあることを忘れてはならない。

退化している象徴的な点は「東京裁判史観」に捉われている点である。


 昨年11月、安倍晋三政権は近代日本の憲政史上最長の政権となった。しかし、長期政権につきものの腐敗やおごりが蔓延している。たとえば、昨年秋の国会では、政府主催の桜を見る会に安倍晋三首相の地元支持者が大量に招待され、公金によって酒食の供応を行っていたことが明らかになった。本来、桜を見る会は各界の功労者をねぎらう行事とされてきた。しかし、安倍首相の後援会は支持者向けに桜を見る会のための東京旅行を企画していた。政治家が私費によって支持者を花見に招き酒食を提供すれば、公職選挙法違反となる。政府主催の公的行事なので選挙法違反とはならないというのが今のところの政府の説明だが、普通の市民にとっては釈然としない話である。

 

〇 安倍晋三首相は、第二次政権担当以来、7回の国政選挙に連続して勝利している。

その実績は、国民が安倍内閣を支持しているか、安倍内閣に代わる政権の姿を見出せずにいるということなのではないか。

このような環境にあれば、腐敗までは起きずとも驕りが芽生えるのは当然のことと言える。

信賞必罰を普通の認識で表せば、憲政史上最長の在任期間を持つ首相を生んだ選挙民はそれなりの“ご褒美”があって当然なのではないか。その“ご褒美”が、首相が主宰する“桜を見る会”への参加であったことは否定できない。

(私も、県議会議長として首相主催の“桜を見る会”に参加した経験があるが、地方から旅費を使って参加したいと欲するほどのパーティーでなかったことを記憶している)

山口は「酒食の接待」を事挙げするが、かのパーティーで口にできるのは、一杯の飲み物と、紙製のさらに盛られた一皿のつまみ程度である。

あの程度の酒食が選挙法で禁じられている供応接待に当たるのであれば、「選挙法」そのものが“実態にそぐわない”ということだ。


 一人当たりの供応の金額は大したものではない。しかし、事は金額の問題ではなく、権力者の順法精神の問題である。この会には詐欺的商法で刑事責任を問われている人物も招かれたことがあり、そのことを宣伝に利用したことも明らかになっている。こうした事実から、桜を見る会の招待者名簿を明らかにし、適切な予算執行が行われたかどうか検証すべきと野党は追及しているが、政府は名簿を破棄したと言い張り、実態解明を拒んでいる。

 

〇 山口自身も、桜を見る会での酒食の接待は“大したものではない”と認めているではないか。公選法の趣旨は「買収」を厳禁しているのであって、投票の権利に見合う対価でなければ問題としなくともいいとも解釈できる。

選挙事務所で提供される日本茶と、駄菓子の類の提供は選挙違反とならないが、紅茶と称‐とケーキの提供は違反となると解釈されている如くである。

また、詐欺犯が、桜を見る会に参加していたのでなく、参加者の一人が、桜を見る会に参加した“後”詐欺を働いたということが正確な経過である。


 この他にも、カジノを含む統合型リゾート施設の設置をめぐって元国土交通副大臣がわいろを受け取っていたとして逮捕されたり、前法務大臣夫妻の関係者が選挙違反の疑いで捜査を受けたりするなど、不祥事が続出して安倍政権は傷だらけの状態である。

 

〇 IRに関する収賄事件の肝は、「中国企業」が贈賄側である点にある。

また、収賄した政治家側は、法律の限界ぎりぎりで金銭を受領している。

明らかな受託収賄か、将来に期待しての政治資金提供か法廷での結論を得られるまでその実態は予測できない。

前法務大臣の疑惑の発端に「ウグイス嬢に対する報酬」がある。

公選法では「一日の日当は15000円を限度とする」とされているが、それが適当であるかどうかは議論の分かれるところだ、地方では1万5千円でもウグイス嬢を得られるが、大都市であればどうであるか。

大都市圏では、ウグイス嬢の日当は3万円以上という情報もある。

選挙法に定めるウグイス嬢の日当の規定が現状にそぐわないという実態もあるのではないか。

山口は触れていないが、ある議員の秘書が議員を代理して支援者に「香典」を届けたという事件がある。この事件等も公選法の規定にのみ拘らず、社会社会の常識に照らすべきのものであるようだ。


 しかし、意外なことにというべきか、日本の世論は沸騰していない。韓国の法務大臣に対する検察の捜査については日本のテレビのワイドショーも大騒ぎしたのに、自国の前法務大臣の件については厳しい追及がない。1月の世論調査を見ても、内閣支持率は横ばいあるいは微増で、人々は政治の不祥事について怒っているわけではなさそうである。

 

〇 針小棒大の印象がこの一点にもある。

チョ・グク韓国法務大臣に対する疑惑は国政壟断に関するものであり、

日本の前法務大臣の疑惑は公選法に関わるものである。

同断に論じるものではない。

山口二郎は偏向して事件を見ているが、国民は冷静に事件の本質を見ているということだ。


 その理由は、日本人の多数が、政治は変わらないとか、他に政権を担う政治家はいないとあきらめていることである。2009年の民主党政権の誕生までは、日本人も政治を変えることによってよりよい社会を目指すという希望を持っていた。しかし、東日本大震災を経て民主党政権が崩壊すると、人々は政治の変化について悲観的、あるいは冷笑的になった。

 

〇 もし日本人が民主主義に“絶望”し、政治的に無気力になっているという山口の主張を是とすれば、その責任は2009年に誕生し3年数カ月政権を担当した「民主党」に責任の総てがあるということなのではないのか。

「民主党政権」は、「東日本大震災」で崩壊したのではなく、「政権担当能力がない」と国民に見透かされた故、総選挙の敗戦によって崩壊したのだ。

それは、民主党は、政権離脱後行われた全ての国政選挙で自民党に一矢も報いられない現実が証明している。

もし国民が悲観しているとすればその対象は「民主党に連なる政治家及びそのシンパ」であり、冷笑的になっているのは「民主党のサポーター」であった山口自身ではないのか。


 民主主義を支えるのは、政治の力によって自分たちや子供たちにとってよりよい社会を作ることができるという希望と楽観である。経済の停滞と人口減少が続く日本では、特に若い人々が希望を失っている。今とは違う社会がありうるという希望を喚起するのは野党の仕事である。政治に対する幻滅について日本がアジアの先頭を走るという事態は、何としても脱却したい。

 

〇 韓国の政治的ムーブメントは“恨”が根底にあり、山口の言う“希望”とは程遠いようだ。ロウソク革命ともいわれたデモもその実態は、容共主義勢力によって韓国国民の感情的なもの“恨”を刺激された事件であったことは今では明らかである。

香港における学生たちのデモは“本物”の民主主義を求めるものであった。

台湾における蔡英文の大勝利は、中国共産党に対する拒否そのものである。

 

民主主義社会は、自由主義を信奉する人々にとって必要最低条件であるに過ぎ ない。

自由主義を信奉すれば、少子化の趨勢も又容認せざるを得ない現象である。

政治家は、与えられた条件のもとで最善を尽くす責任を持つものであり、政策の一つ一つに対して“万人の喝采”が得られるものではなく、また、“万人の喝采”を望んではならないものである。

 

≪余談≫

健全な社会にあって、賛成が10%、反対が10%とも、賛成が20%、反対が20%ともいわれ、賛否を表明しない中間層が大勢を決するといわれている。

日本の選挙環境にあっても、「支持政党なし層」が半数に迫るという状況は、日本社会が正常であることを表している。

日本国内の各級の選挙の投票率は、50%内外であるが、米国における選挙人登録者(レジデンス)もまた50%内外であるといわれる。

一方で、中国の地方選挙やロシアの大統領選挙にあっては投票率が90%台を記録する。

山口二郎的視点で見れば、中国やロシアの民主主義は日本の民主主義より進んでいると見えるのだろうか。