過日、文正仁特別補佐は、
「南北関係最大の障害物は国連軍司令部」と語った。
米韓関係を根底から否定する論である。
その様な人物の言うことであるから、聞き流してもいいのだが・・・
反論はしておくべきだと思い返し筆を執る。
韓国大統領外交安保特別補佐官「いまの日本は高圧的で一方的」
中央日報日本語版 9月15日(日)
文在寅ムン・ジェイン)大統領統一外交安保特別補佐官は14日、「韓日ではかつては相手の立場になって考える気持ちがあったが、今回の日本は高圧的で一方的だ」と批判した。
〇 日韓基本条約を締結した1965年、衆院議長であった船田中先生は、私の政治の師匠である。
船田先生は1935年(昭和5年)に初当選した衆院議員であり「戦前」をエリート官僚として、政治家として熟知する人であった。
船田先生は「日韓基本条約」を承認する国会で野党の反対を押し切り「議長職権」で本会議を開会し、国会を混乱させた責任をとり、日韓基本条約の国会承認を可決した後“引責辞任”したのであった。
斯くの如く、日韓基本条約は日本にあっても強い反対があったのである。
文特別補佐官はこの日朝日新聞とのインタビューで、現在の韓日関係に対し「(日本政府は)韓国の人々の心情を考えて形式的にでも協議に応じるべきだった」としてこのように指摘した。
〇 文在寅政権が“否定”する「日韓基本条約」は、韓国のみならず日本国内でも反対が多かったのであるが、世界の“最貧国”に甘んじていた大韓民国を支援するために、大韓民国国民の生活を慮って成立したのであることを日韓両国民は忘れてはならない。
文特別補佐官は現在の韓日関係悪化の背景について、(両国)指導者間の不信もある。歴史問題が解決されないと韓国との協力は難しいと主張を繰り返す安倍晋三首相に対し、文在寅(ムン・ジェイン)大統領は疲れを感じ、諦めかけているようだ」と明らかにした。
〇 日本には日本の歴史認識があり、もちろん韓国にも韓国の歴史認識がある。
歴史認識を前面に掲げれば日韓の主張は平行線をたどるほかない。
歴史認識を外交の手段とすることは“断交”への道であり、歴史認識を外交の手段とする韓国に対し、断交を回避するために、日本は一方的に譲歩を繰り返してきた。
安倍晋三首相の祖父は、岸信介元総理であり、安倍晋三は、幼いながら祖父が政治生命をかけた「日米安全保障条約“改定”」の顛末を知り得る立場であった。
また、岸信介は「日韓併合時代」をよく知る人物でもあった。
安倍晋三は間接的にではあるが戦前をよく知る政治家であり、戦後の政治史、日韓関係史を知る政治家であるということだ。
彼は続けて「日本も韓国も、相手をたたくと人気が出る構造になっている。相手に融和的な態度をとると国内政治で難しい状況に陥る。だから強い姿勢に出る」と分析した。
〇 大韓民国は建国以来「反日」を“国是”とし、「反日」をアイディンティティーとしてきた。韓国の反日教育は70年に及び、“病膏肓に入る”状態であるようだ。
安倍晋三首相は、「文在寅革命政権の反日政策を好機ととらえ」譲歩に譲歩を重ねてきた日本政府の対韓外交を“積弊”と捉え、清算しようとしている。
文特別補佐官はまた、韓国大法院の徴用賠償判決をめぐる対立解消と関連した日本側の立場に反論した。
彼は「日本側は一方的に外交協議ができなかったと見なして次の手続きに進んだ」とし、韓国側は6月に対応案(韓日企業の自発的出資金で徴用被害者に慰謝料を支給する案)を出してから(請求権協定にともなう紛争解決の)最初の手続きである外交的協議に応じる構えを示したと話した。その上で、「しかし日本側は案とともに(外交協議を)拒んだ。(安倍政権は)韓国の人々の心情を考えて形式的にでも協議に応じるべきだった」と付け加えた。
〇 文正仁は、「日韓関係史」を客観的に学習したことが皆無であるようだ。
また、青瓦台の外交特別補佐官でありながら、「外交の常識」を知らない。
そもそも「日韓基本条約」は文字通り日本と韓国の二国間関係の基本を約したものであり、過去の清算のために結ばれたのが「請求権協定」である。
文正仁は、国際条約と国内法の関係にあって、国際条約は国内法を超越することが国際社会の常識である事も解かっていない。
請求権協定で解決済の「徴用工問題」など、提起すること自体が国際法違反であり外交慣例に反している。
国際常識、外交慣例も無視した問題など“門前払い”が当然である。
文特別補佐官は続けて「文政権は朴氏弾劾の民意から生まれた。こうした法的、政治的な敏感さを日本が少しでも理解し、特別法制定など解決に向けて協力すれば『共通の代替案』を見いだすことができると思う」と主張した。合わせて過去の問題をめぐり日本では「謝罪疲れ」、韓国では「心からの謝罪はなかった」との認識が強いことに対し、「それが問題の本質」と指摘した。
〇 成熟した民主主義国で、自らが選んだ大統領を“弾劾”することなどありえないことである。民主主義国の最高指導者は、自らの進退は自らが決すべきである。
「ウォーターゲート事件」でニクソン大統領が辞任の道を選んだ如くである。
韓国で、弾劾が成立したことは、民主主義が未熟であったということであり、ポピュリズムの極致と言わざるを得ず、国家国民としての恥辱である。
日本政府が、なぜ韓国の未熟な民主主義に、ポピュリズムに合わせなければならないのか。
文特別補佐官は、「世代が変われば状況も変わるとの見方もあるが、日本では修正された教科書で学んだ世代もいて、韓国では民族主義が強まる傾向にある。反日、反韓は若い世代の方が強くなるのではないか」と懸念を示した。
〇 かつて、カーター政権で国防長官を務めたアレクサンダー・ヘイグ氏の講演を聞いた。慣れない同時通訳であったから内容の総てを理解できなかったが、「日米貿易摩擦」に基づく日米摩擦に関しての件だけが印象に残っている。
彼は、「日米摩擦を深刻にとらえるべきではない。交流が深まれば摩擦も増えるものだ。日米摩擦に比べ、米国とカナダ、米国とメキシコの間の摩擦は数倍多い」とかたったのである。
1965年以前、日韓間に国交は無く、日韓間の摩擦は「李承晩ライン」に起因するもののみであった。1965年以後、日韓関係が濃密になるにつれて摩擦が多くなることはむしろ当然のことである。
韓国社会は、安倍晋三政権の「ジャパンファースト」に戸惑っているようだが、隣国関係は各々が「自国ファースト」で様々な摩擦を生むものである。
安倍首相は、今、様々な問題を曖昧にしておくことが得策でなく、日本と韓国の将来のために様々な摩擦を摩擦と認めお互いの主張をぶつけ合うことが必要であるとしている。
≪余談≫
私が訪韓したのは、1972年の事であった。
栃木県議会議員としての訪韓は1975年7月であり、その際、金鐘泌氏と面会したことが強く印象に残っている。
我々を招請してくれたのは韓日議員連盟であり、我々を接遇してくれた職員が、(私が弱年であったゆえか)本音を漏らしてくれた。
「日本人は普段は礼儀正しく、穏やかだが‥怒ると怖いからな~」であった。
私の感慨は「戦前の日本人はそうだったのか?それに比べると今の日本人は怒りを忘れている」であった。
1981年、全斗煥政権下の韓国に、自民党栃木県連青年部長として青年党員を引率して訪韓した、カウンターパートは民主正義党青年局であった。
民正党本部で懇談したが、カウンターパートは開口一番「韓国は“反共の防波堤”であり、日本は恩恵を受けている。然るに日本の対韓支援は少なすぎる」という。
私は、「日清、日露の戦争は朝鮮半島のために、日本人は金も血も流した」と反論した。
カウンターパートは“沈黙”した。
同席した韓日議員連盟の接遇者は、
「よく言ってくれました。民正党はできたばかりの政党で日本についてよく知らない者が多いから」と私に囁いた。
文在寅と「共に民主党」は、「民正党」の人々より以上に日本を知らないのであろう。
繰り返し、日本の主張を述べなければならない。
お互いに言いたいことを言い合い、一時、日韓関係が緊迫してもそれを恐れることはない。将来のために今こそ日本の主張を続ける時である。
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