増渕 賢一(ますぶち としかず)ブログ

日々の思うことや意見、活動を掲載します。

2010年10月

 
尖閣ビデオ、全面公開を=みんな・渡辺代表  1030時事通信
みんなの党の渡辺善美代表は30日夜、広島市内で講演し、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件に付いて「捕まえた漁船船長は札付きの確信犯で、ビデオを見れば素人にも多分判る。何で国民に全部公開しないのか」と述べ、現場で撮影したビデオ映像の全面公開が必要との考えを強調した。
また、ノーベル平和賞受賞が決まった民主活動家、劉暁波氏の釈放を中国政府に求める国会決議の採択を目指し、各党に協力を呼びかける考えも示した。
 
6分間のビデオ
国会へのビデオ提出要請は紆余曲折を経て予算委員会に提出された。ただし6分間に編集されたダイジェスト版のようである。しかも予算委員会の理事に限定して視聴するのだそうである。国民は知る権利が有るが政権は何を考えているのか。
 
ビデオ全編
一時「中国漁船の乗組員は臨検に向かった海保の職員を海に突き落とした」との未確認情報がマスコミに流れた。事実ではなかったようであるが、ビデオの公開が無ければ様々な情報が乱れ飛ぶ事になる。一時も早くビデオ全編を公開し事実を公表すべきである。
 
中国政府への配慮
国際法を犯したのは中国漁船であり、わが国になんら疚しい事は無い、のであるなら、なぜ中国政府に遠慮しなければならないのか。ハノイの首脳会談も一方的に中止するなど中国政府の非礼は目に余るものがある。それでも尚配慮・遠慮を続けるのは菅内閣に何か後ろめたい事があるのか。小沢140訪中団の誰かの決定的な弱みでも握られているのか憶測は尽きない。
 
政経分離
政治的に日中間が冷え込んだ事は過去にもあった。しかし日中の経済関係が断絶する事は両国にとって致命的な打撃になる事は経済交流の実態を見れば明らかであり、中国がわが国にとって重要である以上に中国側からすれば日本が重要な位置に有ることは「レアアース問題」で明らかである。政治的断絶が即経済的断絶に繋がるかのような言動は、中国政府の脅しに過ぎないと見るべきである。
 
戦略的互恵関係
経済的には環境関連技術を初め、生産技術的にもわが国からの移転なくして中国での生産はおぼつかない、新幹線・原子力発電などこれから中国に必要な技術、拘束された「フジタ社員」が調査していた、「生物化学兵器」処理事業などわが国の技術だけでなく資金も中国は必要としているのである。中国からすれば対日関係は互恵ではなく、一方的に恩恵があると見てよいのではないか。
 
それなのに…
なぜ中国に遠慮を重ねなくてはならないのか。中国に対して事実認識の錯誤による「贖罪意識」の為せる業なのか。日中間では1952年「昭和27年」当時の中国政府「中華民国」と日華平和条約を締結し、過去の戦争に付いての清算は済んでいる。第二次大戦時の中国における正統な政府は中華民国であったからである。
 
正統政府とは、国際条約とは
中華人民共和国は1949年に建国した国であり、わが国と戦争はしていないのみならず、中国の正統な政府であるならば前政権の結んだ国際条約は踏襲する事が当然ではないか。徳川政府が結んだ「不平等条約」を明治政府が踏襲し、それの解決に要した努力を振り返って見れば、明らかである。
 
中華人民共和国を正視すれば
民主主義国とは程遠い共産党「一党独裁」の国である。また、軍事力を行使してチベットやウイグル・満州やモンゴルを植民地化した帝国主義国であり、現在でも南沙諸島やわが国の尖閣諸島を武力で占拠しようとたくらむ覇権国家でもある。更に、わが国が目指す国連常任理事国入りに強行に反対し、経済援助を武器にアフリカ諸国を巻き込んで阻止行動をする国でもある。
 
みんな渡辺氏に賛成
冒頭の記事で渡辺氏は尖閣ビデオの全面公開を求めている。また劉暁波氏の釈放を求める国会決議も提案している。自民党も全面的に賛成できる提案である。渡辺提案で野党共闘は可能である。このテーマでの野党共闘は民主党がいかに反対しても国民の大多数は賛成する。
 
ビデオ公開により責任の所在を明らかにする事こそ、日中間の将来にとって重要である事を強調したい。
 

日中両国の“字句の解釈と勘違い”
 
中国、首脳会談を拒否「批判、言いがかりばかり」  1029産経新聞
 
菅直人首相と中国の温家宝首相の会談は29日夜になって中国側が会談を拒否するという異例の事態となった。政府与党からは「合って話する事を否定するのは理解しがたい」(枝野幸男民主党幹事長代理)との反発も起きている。
中略
この日、首脳会談実現に向け緊張感を漂わせていた事務方とは対照的に菅首相は日中友好ムードを強調していた。日ASEAN(東南アジア諸国連合)首脳会議ではこう胸を張った。
「(尖閣諸島沖での)漁船衝突事件で緊張する局面があったが、日中関係の大局に立ち冷静に対処した。日中両国は戦略的互恵関係の推進で一致している」
首相の言葉とは裏腹に会談が実現しなかった事は、悪化した日中関係の改善は容易でない事を浮き彫りにした。うわべだけの「戦略的互恵関係」を高らかに訴え、仙谷由人官房長官直伝の「しなやかでしたたかな柳腰外交」のはずが、首相は最後まで中国の手のひらで踊らされていた。
 
 
わが国外務省の「戦略的互恵関係」
戦略的互恵関係とは具体的に
1、        政治的相互信頼の増進
2、        人的、文化的交流の促進及び国民の友好感情の増進
3、        互恵協力の強化
4、        アジア太平洋への貢献
5、        グローバルな課題への貢献 を行うとされている。
 
中国の考える「戦略的互恵関係」
1、        相互の信頼関係を醸成すべき首脳会談を一方的に拒否してくる事が再々である。「政治的相互信頼の増進」を求めていないようである。
2、        尖閣諸島沖漁船衝突事件での一方的な強硬姿勢は“友好感情”など無視して自国の利益のみ求める姿ではないか。
3、        レアアースの禁輸処置は“互恵協力”関係を損なうものであり、当面原材料の輸入国であるわが国が当惑するものの、実質では中国が不利益になる
4、        “アジア太平洋への貢献”とは国際海洋条約を無視して、わが国の領海を侵犯したり、独善的に東シナ海や南シナ海の島嶼の領有権を主張することなのか。
5、        “グローバルな課題への貢献”の一環としてノーベル賞選考委員会に圧力をかけたのであろうか、圧力に屈しなかったノルウェー政府に閣僚級交流の停止を通告したことも貢献なのであろうか。
 
戦略的互恵関係にもお国柄でこんなに違いがある。このような現実を直視すれば中国との関係改善を急ぐ事はわが国の国益を損なうこととなる。
 
余談
金丸信
「タイム・リミット」を「タイム・メリット」と言い違えた。
時間制限は時間的利益と合い通じるものがあり、金丸さんらしい実態を捉えた“迷言”と解説された事を思い出す。ことの本質を誤り無く捉えている人物の間違いは得てして真実を突くものである。
 
仙谷由人
「粘り腰」を「柳腰」と言い違えたらしい。粘り強く交渉する事と、風に柳と受け流す事は本質的に大きな相違があるし、言い間違えとしてはウイットも感じられない。野党の追及を“風に柳のように受け流している”自分の姿を思い浮かべて思わず口を滑らしたのであろう。
 
菅直人
西遊記の中で自信満々の孫悟空が御釈迦様と対決し、自慢のキント雲に乗り一瀉千里に飛び去ったが、ついにお釈迦様の手のひらに出ることはかなわなかった。菅首相は、国内では議員の大多数を制する民主党の党首であるが国際社会では孫悟空である。と言う事か。

中国にも「NOと言える日本」
 
橋下知事、再招待の上海で「超VIP」と面会へ    1028産経新聞
大阪府の橋下徹知事は29日から訪中する。一時は上海万博事務局から招待中止を伝えられ、「どの面下げて僕が行くのか」と今後、中国出張はしないとまで口にしたが、2日後に再招待を受け、参加を決めた。裏には、中国総領事館の異例の奔走があったとされる。訪中の間面会する相手は「すべて超VIPクラス」。橋下知事に中国側が配慮するのはなぜか。背後に知事の中国人脈が見え隠れする。
中略
再参加を決めた橋下知事の発言は2日前と一変。「外交の話なので(再招待の)プロセスは公に出来ない」などとし、「ビジネス、観光が伸びていくように、これからも中国との付き合いはやって行きたい」と前向きな姿勢を見せた。
後略
 
垣間見える「一党独裁」
尖閣諸島沖で起きた中国漁船と称する船舶が海保の艦艇に衝突した事件を受けて、中国政府は「フジタ社員逮捕」「レア・アース輸出禁止」をはじめ各方面で対日制裁を実行した。一党独裁の中国政府が、画一的に対日部門に制裁の実行を指示した事が窺がえる。橋下知事に対する上海万博「招待取り消し」もその一環であろう。
 
石原知事と橋下知事
石原都知事は言葉を選ぶ事無く「チベット問題」等について、率直に中国政府の実態を批判する事で知られている。橋下府知事は親中派であった様であるが、上海万博招待取り消しのプロセスでの中国政府の非礼を率直な表現で非難した。何れの知事もスタンスの違いこそあれ、中国政府の態度に「善悪のけじめ」を「遠慮なく、突いている」点で共通している。
 
対中姿勢
今回の橋下知事再招待のプロセスに付いて大阪府は「外交問題」であるから明かさないとしているが、「招待中止」は中国政府の一党独裁の弱点「画一性」がもたらした中国政府の失点である。失点を指摘すれば、それを取り繕う為に中国政府も動く事を「再招待」が証明してくれた。
 
損得勘定
中国政府としては、日本の首都であり最大の地方自治体である東京都と関係を深めたくても、石原知事の政治スタンスを勘案すれば「取り付く島」が無いと承知しているのであろう。日本第二の地方自治体である大阪府知事である橋下知事は「親中派」として歓迎していたが、「招待中止」で「反中派」となる様子を「あのような国(中国)にはなりたくない」と直裁な表現で明らかにした。2大知事を敵に回す結果に、中国政府の“損得勘定”が働いた結果が「再招待」、異例の「超VIP」との会談の設定となったのであろう。
 
NOと言える日本
石原知事の名著である。日米間に横たわる様々な問題を“優位戦”的に分析した内容であり、この本が発刊された際は、日本国内以上に米国政府は衝撃を受けたようである。日本の技術なくして米国の世界戦略は成立しない事を「第7艦隊」の運用や、航空機・ミサイルに関係する日本の“替え難い”技術力を題材に分析した内容であったからである。
 
NOと言えた大阪
今回の橋下知事の「一連の対中発言」は“優位戦”的外交姿勢を、彼我に見せ付けた事で外交でも“NOと言える…”ことを証明した。橋下大阪府知事は“非礼をわびる”中国側の態度を了として、大人の態度で「再招待」に応じたのであろう。
今後も毅然たる態度で“日中友好”に努められることを希望したい。
 
レア・アース問題
現時点に限定すれば、レア・アースの独占的生産地は中国であり、その大部分は日本に輸出される。日本はレア・アースを原材料とした先端技術部品を独占的に製造し世界各国に輸出している。世界の工場と称される中国もわが国から先端技術部品の供給が無ければ完成品が出来ない。100万円相当の製品も1万円の部品一つが無くては完成品とならない。“他に求め得ない部品”をわが国が中国に供給している実態も我々日本国民は知るべきである。
尚、レア・アースは1年間に消費する分量が国内に備蓄されていると言う報告もある。
 
 
 
 

自主憲法制定が“主権”行使に不可欠
 
〈漁船衝突〉ビデオ公開時期に政府ピリピリ   1028読売新聞
 
政府は27日、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件のビデオ映像を衆院予算委員会=中井委員長=に提出した。仙谷由人官房長官はこれに合わせ、中井委員長宛に「公にするにあたり、より慎重を期す事が相当」との異例の要望書を提出し、視聴者を限定するよう求めた。中国側を刺激することを避けたい思惑があるが、国会の委員会運営に直接注文をつけた格好で、野党側は「『政治介入は無い』と言いながら、政治的にこの問題を操作しようとしている」と批判している。
中略
政府が神経質になるのは、菅直人首相のハノイ訪問にあわせ、月内の日中首脳会談実現を模索している事や、中国の胡錦涛国家主席が来日する11月中旬のアジア太平洋経済協力会議が控えている為だ。外務省は「(中国が)会談できる雰囲気ではないと判断する可能性もある」と懸念を隠さない。
以下略
 
主権とは
大辞林によれば、国家の統治権、他国の意思に左右されず、自らの意思で国民及び領土を統治する権利。領土・国民とともに国家の三要素を為す。
主権国とは
主権を行使しうる独立国。ある事件の取り扱いや審理に関して権利を行使できる国。 とある。
 
〔日本は半独立国〕
わが国憲法には独立国として当然の主権に関する記述は国民主権を謳っているのみであり、主権行使に付いての記述は無いのである。連合国の占領下で国際法に違反して作られた被占領国憲法であるから当然と言えば当然である。従って、主権に関する法律が不備である。尖閣諸島沖の漁船衝突事件でも領海侵犯に関する法律が無いため〔領海侵犯〕として逮捕する事が出来ないのである。
 
日中首脳会談
隣国であり大国である中国と首脳会談する事はあらゆる意味で大切である。しかし国家主権に勝るものでは無いことも当然である。この常識に従えば、小泉首相や安倍首相の「首脳会談に中国側が応じないなら、無理に会談する必要は無い」との態度を取る事が独立国の首脳のとるべき態度である。
 
日中平和条約締結時
田中首相と大平外相はわが国の主張が中国側に容れられないなら、交渉を決裂して帰国する事を覚悟した。周恩来首相はわが国の断固たる姿勢を感じ取り、
譲歩の姿勢をとり、毛沢東国家主席との会談を経て平和条約が締結された。
その際、毛沢東国家首席は「もう喧嘩は終わりましたか」と語りかけたそうである。
 
岡田幹事長は
超党派の有志議員が行う尖閣諸島上空の視察計画に対し「中国に拘束されているフジタ社員は尖閣問題での人質である」との認識から「中国側を刺激するから中止して欲しい」と要請したと言う。「人命は大切だから」との認識から取った行動であるとも語ったと言う。わが国の外相に主権意識が無い事の証明である。
 
主権意識
地方分権をより強く印象付ける為か、政府の公文書に「地方主権」と表現されている。この点も「主権」の意味を曖昧に理解している為であろう。うがった見方をすれば、国家を半独立国のままで地方に主権を与え「独立」させる事で国家解体を目論んでいるとも考えられる。
 
自主憲法制定
自民党の立党宣言では自主憲法制定が高らかに謳われている。昭和30年当時、岸信介氏らは現役の議員であったし、吉田茂氏も健在であった。戦前・戦後を通じてわが国のおかれた状況を“身をもって体験”された方が主導されていたから、自主憲法制定の重要さを認識されていたのであろう。
翻って現在、自主憲法制定を求める動きは残念ながら先細りである。
 
尖閣も拉致事件も
わが国に主権に関する法律が無いために主権国としての権利が行使できない現実を観れば、尖閣問題のみならず、それ以外の竹島や北方領土問題の解決も不可能であるし、「実質的な拉致事件」中国政府によるフジタ社員の拘束に対する政府の態度は、拉致事件の解決に取り組めない実情を証明している。
 
 
 

『仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌』
 
攻めの姿勢足りない?自民がディペート特訓へ  1026読売新聞
 
自民党は11月から、「シャドーキャビネット」の閣僚らを対象に、討論能力の向上の為の講座を開く。
国会やテレビで、政府・与党を厳しく追及する技術を磨く狙いだ。講座は党政務調査会が企画したもので、日本ディベート研究協会の北岡俊明会長を講師に4回開く。「影の内閣」の閣僚全員に参加を義務付け、中堅・若手の参加も募る。
講座を開くのは、自説を延々と述べるような「与党型」の質問が目立ち、政府・民主党を追い詰める事ができていない、という問題意識があるからだ。党幹部は「国会中継を見た人に政府の失政を印象付けたりする『攻めの姿勢』がない」と指摘し、「論客育成」に期待を示している。
 
万年野党
今は無き日本社会党は万年野党と言われ、与党に対する批判政党であった。舌鋒鋭く政府を追及する国会論戦は見所があったことも事実である。与党を追い詰め解散総選挙に追い込む事も、吉田政権下の“バカヤロー解散”などがあったし、田中内閣を総辞職に追い込む事もあった。しかし、いかにディベート能力に優れていても批判政党から脱する事は遂に無かった。
 
その原因は
当時は東西冷戦の真っ只中であり、西側陣営に属する事を選択した自民党に対し、東側陣営にシンパシーを示す社会党は国民大多数の信頼を獲得する事が出来ず、総選挙で過半数を制する候補者擁立も達成する事もなくその使命を閉じてしまった。後継政党「社民党」はご存知の通りの現状である。
 
2大政党時代
中選挙区制を採っていた時代であれば「万年野党・批判政党」も政府に譲歩や反省を求める意味で、与党に対する「反面教師」として一定の役割を担っていたのであろうが、小選挙区制を採り、二大政党時代の野党は名実ともに「次の内閣」ネクスト・キャビネットでなければならない。
 
ネクスト・キャビネットの使命は
政府与党の政策の批判に留まることなく、自らの信じる政治理念に基づく政策を発言し続ける事で国民・有権者の理解を得る事である。政権の失政を追及することも大事な事であるが、最も重要な事は「自らの政策・理念」を現政権に対比させることなのではないか。
 
延々と自説を…
自説を述べることこそ政治家として重要な事であり、政権の批判は自説の正当性を立証する為の手段に過ぎない。ただし自説が国家のために“より良い”ものとの確信がなければならない。その為には、東西冷戦時代のイデオロギー対立のいずれかに立脚したものであっては、今日的ではない。正しい国家感に基づく「国益優先」の姿勢が根本的に重要である。
 
現自民党の理念は
1955年自民党は立党し既に半世紀の歴史を持っている。しかも、その歴史の大部分は政権党としての歴史である。わが国の戦後の発展は自民党と伴にあり、自民党が日本国の繁栄のけん引役であった事は誰しも否定し得ない事である。しかし、政権党であり続ける事に慣れ、立党の精神「自主独立」を等閑にし、自主独立のために最も重要な憲法改正「自主憲法の制定」をなおざりにし、党の最も重要な使命に目を瞑っていたのではないか。
 
理念なき民主党に対し
自民党はディベート能力を高める、などに意をもちいる事など、些事に過ぎないと知るべきである。理念なき民主党に対し、結党の理念を再確認する・学習する事こそ必要なのである。それなくしては万年野党に甘んじる事は容易に想像できる。失政が続く民主党政権が支持率を失っても、自民党が有権者の受け皿になり得ていない事がそれを証明している。
 
ディベート能力と言えば
菅直人首相は野党時代舌鋒鋭く政府与党を追及する、優れた「ディベーター」であった。鋭い批判能力が政権担当能力とイコールでは無い事は事実が証明している。大平正芳首相は「鈍牛首相」とか「アーウー答弁」と揶揄されたが、彼の演説や答弁を速記に起こすとそのまま「第1級の論文」であった。“ワンマン”と揶揄された吉田首相が近代で最も優れた政治家の一人である事は大多数の国民の認めるところである。彼らにディベート能力は必要だったか。
 
民主党は
政党に最も重要な、政党の背骨とも言える、「綱領」なき政党といわれる。時代遅れのイデオロギーに捉われた議員が雑居している為に、統一した党の理念がないため「綱領」をあらわす事が出来ないのである。理念なき政策であるから、場当たり的政策の羅列となり、場当たり的であるが故に国民の耳に優しい。場当り政策で国政が混乱する事が予想されても「選挙に勝てばよい」と考えているのであろう。
 
自民党は今
立党宣言や結党の理念に立ち返る姿勢が希薄である。政権獲得が唯一の目標であり、政権獲得に理念は不必要であるとも取れる党指導部の姿勢が見える。冒頭の記事はその事例ではないかと危惧するのである。今 日本国にとって必要な事は国民に甘い言葉で語りかける事ではなく、「国防」「外交」「福祉」の現状を真摯に説明し、国民一人一人に「国民としての義務」の覚醒を迫ることではないのか。理念なき言葉の「政策」の羅列では国民の信を得る事は不可能と知るべきである。
 
 
 

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